ども!
がりぼんッスヾ(´∀`)ノ
今回は、前回からの続きで「熱田神宮」へ行った時のお話。
熱田神宮を参拝して、その向かいにある「あつたnagAya」で食べ歩きをした、がりぼん一行⇒★
お次は少し移動して、堀川の方までやって来た。

ここは、宮の渡し(七里の渡し)の船着場跡がある「宮の渡し公園」
この辺りはかつて、熱田宿(宮宿 みやじゅく)という東海道の宿場町だったんだってさ。

宮宿の「宮」というのは、熱田神宮の「宮」にちなんで呼ばれていたんだと思う。
んで、この名古屋にある宮宿から三重県の桑名宿(くわなじゅく)まで移動するのに、海路を使って移動していたんだって。
その船着場が復元されている場所なんだ。

宮宿から桑名宿までの距離が、昔の単位で「七里」あったそうだから、この海上ルートは「七里の渡し」と呼ばれていたらしい。
それにしてもさ、とても興味深く感じたのが、この堀川。

今は堀川となっているけど、昔はここから先は海だったんだってさ。
そんな江戸時代の様子がわかる浮世絵かな?も展示されていたよ。

かつて七里の渡しは、東西をつなぐ重要な海上ルートだったそう。
そして、宮の渡し公園の先にも、まだ何かあるということで、堀川の遊歩道をもう少し歩いてみたよ。

歩いて行った先には、またもや公園があり。
そこには「熱田魚市場跡」なるものがあったよ。

海があったということは、魚市場があってもおかしくないね。

こんな感じで、昔の魚問屋をイメージした建物まであった。

とは言え、今では静かな公園。
これらを見ただけでは、当時の雰囲気がピンとこなかったんだけど…。
展示されていたこの絵を見ると、とても活気があって賑やかな様子がよくわかる。

江戸時代に描かれた、夕方の熱田魚市場の様子らしい。
市場って、なんとなく朝のイメージがあるけど…。
夕方にこんなに賑わっていたんだね。
現代人が夕飯の買い出しにスーパーに行くような感覚だったのだろうか?
それにしても、船も人もいっぱい描かれていて、当時の人々は忙しそうだけど楽しそうにも見えるよ。

今も熱田神宮は国内外から多くの観光客が訪れる場所だけど。
昔もこの辺りは、熱田神宮の門前町として、湊町として、さらには宿場町としても、メチャメチャ栄えていたんだろうね。
そんな、宮の渡し公園を散策した様子は、動画でもう少し詳しくまとめているので、良かったら見てみてね↓
いやぁ~、街歩きはいろんな発見があって、やっぱり。。。
楽しい♪⇓
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