イラスト国内旅行

奈良公園の名勝地・猿沢池

ども!

がりぼんッス(。・∀・)ノ゛

本日のブログ記事も奈良旅行の続きのお話。

さて、奈良名物の柿の葉すしでランチを済ませた、がりぼん一行⇒

ここは、奈良公園へと通じる三条通り。

大勢の観光客で賑わっていたね。

このまま真っ直ぐ歩いて行くと、世界遺産の興福寺やら東大寺やらがある。

そう!

奈良公園には超絶有名な観光スポットがギュギュっと詰まっているのだ!

しかしながら三条通りにも、なんだか気になる、ちょっとした歴史スポットがあったんだよね~♪

それがコチラ↓

南都銀行本店

いやいや、ただの銀行じゃないのよ。

この建物は大正時代に建てられた、登録有形文化財なんだってさ。

古都奈良に、洋風でお洒落な建物が目を引くよね~(・∀・)

そして、しばらく歩いて行くと、またまた気になるスポットに遭遇!

お次は、ほんのり江戸っぽい雰囲気よ。

こちらには、江戸時代の「高札場(こうさつば)」と、明治時代の「里程元標(りていげんぴょう)」が復元されていた。

高札場ってのは、掲示板のような高札(木の札)がいっぱいある所。

高札には法令や掟が書かれていて、幕府や領主はこの高札場を使って、民衆に情報を伝えていたらしい。

そして、手前にある木の柱のようなものが、里程元標。

なんて書いてあるのかは、よく分からないんだけど…。

説明書きによると、この場所から京都や大阪、伊勢方面への距離が書かれているみたい。

この里程元標が置かれている橋本町が、諸街道へと向かう奈良県の起点になていたんだとか。

ちなみに、この小さな石碑みたいなのは、大正時代の道路元標だとの事。

大正時代から、「道路」という言葉が使われるようになったのかな?

なんだか一か所に、江戸と、明治と、大正時代のものが混在していて、ややこしいんだけど…。

まぁ、この橋本町って所は、昔から奈良の中心部だったって事かな?

そして、もうしばらく歩いて行くと猿沢池(さるさわいけ)に到着♪

興福寺の五重塔が水面に映る、美しい奈良公園の名勝地だ。

この日は曇り空だったんだけど、晴れていて風がない日には、もっとキレイに映るみたい。

しかもさ、この池。

奈良時代に造られたとも言われている、人工池なんだってさ。

いやぁ~、奈良時代ってなんか凄くない?

都だって造っちゃうし、巨大な大仏まで造っちゃうし。

そう言えば、奈良時代って「租・庸・調(そ・よう・ちょう)」っていう税制度があったよね?

米や特産品などを治める事の出来ない庶民には、肉体労働で税を治めさせるっていう、過酷な税制度だ。

う~む(×_×;)

この池を造るの、大変だっただろうな…(´Д`。)

そんな猿沢池には、これまた悲しい伝説があって。

帝の寵愛が衰えた事に、嘆き悲しんだ采女(うねめ)が、猿沢池に身投げしたってものだ。

まぁ、こういった話はよくある話な気もするけど…。

そもそも「采女」って何だろろう?

どうやら、古代朝廷に仕えた女官らしく、主に天皇の食膳に奉仕していたそうだ。

多くは地方豪族の娘だったらしいから、決して身分の低い一般庶民というわけではないようなんだけど…。

まぁ、帝に忠誠心を見せるというか、人質的な意味合いもあったのかな?

そんな采女の中に、一人や二人、帝に気に入られる娘がいてもおかしくはない。

そして、その娘への想いが冷めたとしても、それもまたよくある事だ。

しかし、この猿沢池に身投げした采女さんは、帝に気に入られても側室には慣れなかったのだろうか?

帝の側室になるには、もっと身分が高い女性でなければいけなかったのかな?

いろいろ考えると、やっぱりなんだか悲しいお話だね。

けどさ、猿沢池のほとりには「采女神社」ってのがあって、中秋の名月には「采女祭」が行われるそうだから、もしかしたら帝のお気持ちは、まだまだ残っていたのかも知れないよね。

それにしても、古都奈良。

いろいろと奥が深いなぁ~(人´∀`)

そんな、猿沢池を見学した様子は動画でもまとめているので、良かったら見てみてね↓

さぁ!お次はいよいよ、世界遺産の興福寺を見学。。。

するぞ!⇓

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